出町神明宮春季祭礼 出町子供歌舞伎曳山
出町神明宮
明治33年(1900)8月19日、出町を未曾有の大火が襲います。この時、杉木新神明社も焼失し境内の大樹も大部分が失われてしまいました。しかし氏子たちの熱意により明治36年(1903)4月15日、本殿遷座式が行われ再建を果たしました。この時期には、『出町』という地名は俗称から正式な地名として定着していたことから、氏子たちは『出町神明宮』と呼ぶようになりました。
その後も神社としての整備を順次行ってきましたが、昭和19年(1944)5月7日、またしても火災が出町を襲い出町神明宮は焼失しますが、再び氏子たちの努力により再建され、現在に至っています。
杉木神明社、出町神明宮はともに俗称で、『神明宮』が正式な名称です。
春季祭礼と子供歌舞伎
昭和43年までは3町全てが歌舞伎芝居を上演し、神明宮の奉納歌舞伎の順番はくじ引きで決められ、1番に歌舞伎を奉納することが名誉とされていました。しかし翌年からは当番町制となり、当番町1町が芝居を上演し他の2町は曳山を町内に曳き出し『飾り山』することとなりました。
祭りのしきたり
当番町の曳山は、奉納歌舞伎を終えると他の2町の地内に入って芝居を上演する『
他町曳き』を行います。他町の代表は町の境界まで出て当番町の曳山を迎えます。当番町は、他町に入る直前で曳山を誘導する拍子木をその町内の代表に渡し、それ以降はその町の関係者の誘導で上演場所まで移動した後、芝居を上演します。
当番町の曳山は、奉納歌舞伎と他町曳きが終わった後自分たちの町内に入って芝居を上演できるようになり、これを『
自町曳き』と呼びます。ここから2日間に渡ってあらかじめ決められた10か所ほどの場所で芝居を上演します。特に2日目の千秋楽を『
留め山(とめやま:記憶にとどめる)』と呼び、最も盛り上がる最後の上演となります。
2日間の祭りの中で、三基の曳山を一同に揃える場所があり、これを『
三町揃い曳き』と呼んでいます。三町揃い曳きは、その年々の当番町が「いつ、どの場所で行いたい」旨を他の2町に伝え3町同意のもとで決定されます。三町揃い曳きでは、芝居のほかに三味線教室の子供たちの演奏なども披露され、最も華やかな上演場所といえるでしょう。
子供歌舞伎の衣裳
曳山子供歌舞伎は全国で出町を含めて6か所で受け継がれていますが、自前の衣裳カツラなどを使っていることが、出町子供歌舞伎の大きな特徴となっています。出町では昔から伝わる衣裳と新調された衣裳を、外題に合わせて有効に活用していくことで、これまで多くの芝居を演じてきました。
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